弱音を吐きました。

昨日の晩に、内省をしていたら、心の声が聞こえてきました。
それは、自分でも意外だったのですが、
「無理」「できない」「やりたくない」の言葉でした。
独りで晩御飯を食べながら、何度も、声に出して言いました。
でも、不思議と声に力も入り、本心で思って言っているのが分かりました。
そこで、気づいたことがありました。
私は、絵を描いたり、曲作ったり、ゲーム作ったりしたいとブログでも
言ってきましたが、本当は違うのかもしれません。
本心は逆で、本当は、それらの事をやりたくないのではないか?ということです。
では、なんで、やりたくない事をやりたいと思って、
しかも勉強したり、高い金払って、オンラインスクールにも行ったのでしょうか?
心の奥底で思っている事と、わざと反対の事をする事によって、
心のバランスを取っていたのかもしれません。
そんな心のバランスの取り方あるんですか?的な疑問もあると思いますが、
私なりに調べた結果、実在しているみたいです。
あー、って思いました。
またまた、幼少期に戻って、色々、考えました。
私は、絵がうまい人や、ミュージシャンの人に憧れていたのは事実ですが、
自分にもできる!って思ってたんです。
そう思う事は悪いことではないと思いますし、そういう気持ちがあったからこそ、
高校の時に講談社フェーマススクールで絵の通信教育で勉強したり、
独学でしたが、作曲とかも勉強して、バンドでオリジナルの曲をやったりできました。
でも、本当は、心のどこかで、アーティストの方々が羨ましかったのに、
バカにするような気持ち、自分の方がすごいって言い聞かせていたんです。
私は、大した努力もしていないのに、人をバカにするようなことに神経使ってたんですね。
先人で活躍してる人々に敬意の気持ちも持たずに、
自分の方がすごいと思うって、どんだけ愚か者かを、やっと気づきました。
そう思いながら、昨晩は、「無理」「できない」「やりたくない」を連呼してましたが、
私は、やっぱり、負けず嫌いだったんだなーとつくづく実感しました。
それと、過去を振り返ってみると、弱音を吐いた記憶がないんですよね。
一度や二度はあると思いますが、記憶にないということは、
意識してないか、本当に、ほとんど口にした事がないのかなと思います。
普段から、ネガティブな言葉は発しないようにしてますし、
仕事でも、できませんとか言った記憶がないんです。
こう思うと、20年くらい前に、弱音が吐ける自分がいたら、
躁うつ病にならずに済んだかもしれないなんて思っちゃいます。
今更、言ったところで始まりませんがね(笑)。
たまには、こうして弱音も吐きたいなと思います。
それと、もっと人を思いやる心も磨いていきたいと思いました。
自分には、みんなのようにはできません。無理です。
やりたいと思っていた事も、本当はやりたくないのかもしれません。
それを認めたら、すごく気持ちが楽になりました。
今後、どうなるか分かりませんが、
また1から残りの人生の目標を決め直したいと思います。
では、またお会いしましょう。

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